価値って言葉、あんまり好きじゃない


価値って言葉。


あんまり好きじゃない。

むしろ、けっこう嫌いなんだ。



「価値」っていうのは、

「評価」を前提とした言葉だ。


価値を主語とした場合、

価値がある、価値がない、とか、

価値が高い、価値が低い、

のような言葉が続く。


価値は、比較され評価されることが前提となっている。


まさに、

今の時代を象徴するような言葉だ。



2つの価値

価値と言っても、大きく2つあると思っている。

それは、絶対的価値と相対的価値だ。


1.絶対的価値

例えば、

目の前の商品を見て、

「あ、これ良いな!」とか、

「あ、これ好きだな!」のように、

直感的に感じる価値のこと。


主観的価値とか、感情的価値みたいにも言い換えられる。


外部からの情報を抜きにして、

対象と自分との間だけで価値の判断が行われる。


2.相対的価値

例えば、

目の前の商品を見て、

食べログとか、amazonのレビューとか、

第三者の情報や評価を参考にして、

「うーん、他よりも良さそうだ!」というように、

何かと比較検討した後に感じる価値のこと。


客観的価値とか、理性的価値みたいにも言い換えられる。


直感ではなく、客観的な情報を頼りにして、

価値判断が行われる。


価値判断の偏り


価値って言葉が好きじゃないのは、

世の中の流れとして、

相対的価値による判断に偏っているからだ。


みんなが良いといったものが良いとされ、

有識者が悪いといえば悪いとされ、

客観的価値を押し付け、

また押し付けられているような感じが強い。


で、それに反する(絶対的)価値基準を持つと、

なんか叩かれたりする。



今は、あらゆるものが数値化されるようになり、

それも客観的価値を優勢にする要因にもなっている。


あらゆる商品やサービスがレーティングされ、

さらに、ランキング化される。

そして、上位のものは相対的に価値が高いとされる。



失敗したくないとか、

効率的に生きたいのような感覚から、

相対的価値を優先するのもわかる。不安だしね。

それが悪いわけではまったくない。


でも、

価値ってのは感じるもの。


感じるのは自分の心であって、

それは絶対的なものであることには違いない。



他人に価値を決めさせるんじゃなくて、

自分の感覚で価値を決めても良いんじゃないかなと思っている。



余談

「新たな価値を創造する」とか、

「新たな価値を提供する」とか、

そんな理念を掲げている企業がたくさんあると思う。


うーん、、イマイチだなって思う。


そもそも、

新たな価値を創造するってさ、

それだけだと言葉足らずで、、


言葉を付け足すと、


お客さんから「価値がある」と思ってもらえるような新しい商品やサービスをつくります。


ってことだろう。


それって、当然のことじゃないか?


新たな価値を創造する、

みたいに、一見良さげなことを言ってそうで、

たいした中身のない言葉はたくさんあると思う。


社会貢献とか、夢ある未来とか、圧倒的成長とかね。


悪いわけじゃない。

理念であれば、

その言葉で心が動かされたり、団結できれば良い。


ただ、中身はない。







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