今日の捉え方


今日は2017年10月2日


今日という日をどの視点から捉えるか?


例えば、


  • 10月1週目の月曜日
  • 10月の2日目
  • 2017年の中の1日
  • 人生の中の1日
  • 地球の寿命の中の1日
  • 宇宙の寿命の中の1日


などなど、


いろんな視点から今日という日を捉えることができる。


で、

どの視点から見たって、

今日という日は今日という日であって、

実態は何も変わらない。


だけど、

今日は10月1週目の月曜日だと捉えた場合と、

人生の中の1日と捉えた場合と、

その日の過ごし方は変わってくると思う。



時間感覚

ちなみに、どっちがいいとかはない。


例えば、

今日を10月1週目の月曜日だと捉えた場合、

7日間の内、日曜はもう終わった。

今日を含めてあと6日。

平日は案の定、仕事だしなぁ。

さて、有意義に過ごすにはどうやって過ごそうか?


一方、

今日を人生の中の1日と捉えた場合、

多分あと40年くらいは人生あるなー、

今日も楽しく過ごしたいけど、

けっこう残り時間あるなー。

そんな焦らなくても大丈夫!


みたいな感じ。


この2つ何が違うか?


前者は、時間がない感じが強い。

後者は、時間はまだたっぷりある感じが強い。



時短とか効率化とか、そういったことがフォーカスされているここ最近。

今日を捉えるときも「時間がない」ことが前提になっていないだろうか?


時間は有限であり、自分が使える時間はあまりなく、人生で自由になる時間もあまりない。

そんな感覚になっているのではないか?って。



でも、

捉え方によっては、そんなことなくて、

時間はまだまだたくさんある。

なんか、今なんとかしなくちゃって焦って、急いで、いろいろやっているけど、

もう少し俯瞰的に抽象的に捉えてみると、

そんな必要もないのかなと。



時間は増えた


昔に比べて人間の寿命は伸びた。

健康でいられるかは人によるけども、

60歳くらいだとまだまだ元気。


それに伴い自分が使える時間は増えたはず。

でも、時間がないって言う感覚の方が強くなっているような気がする。


短納期の仕事にたくさん関わっていたり、

単純に近視眼的にしか物事を捉えていなかったり、

そう思わせるようなメディア的な仕掛けがあったり、

理由は色々あるだろう。



とにかく、

僕らの時間は増えた。

だから、今そんなに生き急ぐことはない。と思っている。


昔の人の30歳と、今の人の30歳は違う。

昔は結婚して、家や車を買ったかもしれないが、

僕らがそれをしなければいけない理由はない。


ただ、好きなように自分で選択すればいいだけだ。



と、

今日の捉え方の焦点をずらすだけで、

自分の感覚が変わっていく。


これは、あらゆることに対して言える。










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