「それやって何の意味があるの?」
「なんでそんなことするんだ?理由は?」
「なんのためにそれをするの?目的は?」
「それ買ってどうするの?」
なにか行動を起こすなら、
その意味や目的、理由を求める人たちがいる。
その行動に対して、
その行動の結果、何が起こるのか?
を気にする人たちだ。
それをしたら、業務が効率的になるとか、
それを買ったら、朝の時間を有意義に使えるとか、
「それ」をするために何らかの説明を求める。
そういう人たちは、
ビジネスの世界には多いが、
彼らは私生活でも同様に振る舞う。
そう、かつての自分のことだ。
行動というもは、
何らかの結果を出すためのものと考え、
因果関係をいちいち気にしている。
その公式に当てはめて、
結果や理由が正当でない、または非効率だと感じれば、
その行動に対して疑問を抱く。
無駄を極力省き、
目的や理由がない行動はとらない。
そんな生活をなぜしてしまうのか?
それは、
心の持ちように起因していると思う。
言い換えると、
彼らの持っている「前提」に起因している。
そういう人たちは、
成長や効率を追い求めていて、
付け足すことが成長だと考え、
いつでも逆算して最短距離を進み、
一見、前向きのように見えるが、
その実態は、
希望や意欲ではなく、
不安を原動力に動いている。
言い換えると、
成功よりも、「失敗しないこと」を重視している。
それが「前提」だ。
だから、
なにも産み出さないようなことはしたくないし、
何か減らすようなことは、もっとしたくない。
いつも、何かに怯えているようで、
その怯えの原因は自分ではよくわかっていない。
付け加えると、
失敗したくないからか、
自分よりも権威の言葉を重用する。
「作られた成功者」のメソッドをありがたがる。
長々と書いたが、
自分にとってそんなことは昔のことだ。
目的や理由、結果を伴わない行動だっていいじゃないか。
って思っている。
例えば、
今は時間がけっこうある。
昔の自分なら、
「今しかできないことをする」
って考えただろう。
会社に勤めたら、
こうやって時間を作り出すことは難しいし、
それならば今しかできない旅行とかそういうことをすべきだと。
そのほうが人生の時間を有効に使えるだろうと。
そんな風に考える。
でも、
「今やりたいと思ったことをする」
というのが今の気分だ。
別に、時間なんて作ろうと思えば作れるし、
そんな行きたい場所もないのに旅行にいくのもなぁ。
だらだらしたいならそれでもいいじゃん。
今そう思ったんなら。
って。
何が違うか。
昔はいつも不安がつきものだった。
将来にも現在にも。
だから、損をしない、失敗をしないように、
不安を原動力として生きていた。
今は、希望とか意欲とか、
そういうものを原動力としているし、
今後もそれは変わらない。
ちなみに、
岡本太郎のことが大好きで、
今年の春に初めて彼の本を読んだ。
太陽の塔をはじめとしたアート作品が有名だが、
それよりも彼の残した言葉のほうが個人的に好きだ。
自分を認めさせようとか、この社会のなかで自分がどういう役割を果たせるんだろうとか、いろいろ状況を考えたり、成果を計算したり、そういうことで自分を貫こうとしても、無意味な袋小路に入ってしまう。
いま、この瞬間。まったく無目的で、無償で、生命力と情熱のありったけ、全存在で爆発する。それがすべてだ。
岡本太郎 『自分の中に毒を持て』 P.194
太郎の言葉は今の世に力を与えてくれる。
今の常識の逆にこそ活路があるのでは、と考えさせられる。
先の本の冒頭はこうしてはじまる。
人生は積み重ねだと誰でも思っているようだ。ぼくは逆に、積みへらすべきだと思う。財産も知識も、蓄えれば蓄えるほど、かえって人間は自在さを失ってしまう。過去の蓄積にこだわると、いつの間にか堆積物に埋もれて身動きができなくなる。
岡本太郎 『自分の中に毒を持て』 P.11
付け足すことは簡単だ。
情報は溢れているし、安価で手に入る。
それよりも磨くこと、
すなわち減らすこと、研ぎ澄ますことが大事ではないか。
この本は、普通に一般的に大衆として生きていきたい人には全くオススメできない。
最後に。
大事になことは、
行動に対して結果や理由、目的などを求めず、
無目的に自分の直感で行動を起こすこと。
ではない。
それは表面的なものであって、
それよりも行動の原動力が何か。
ということが、とても大事だ。
不安というものは妄想だ。
各々の頭の中にしか存在しない。
すべては自分の心の持ちよう。
自分の心のあり方が現実をつくっていく。
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