何か勉強しようと思ったときに、
「どうせなら価値ある知識を」
何か商品を買おうと思ったときに、
「どうせなら価値ある商品を」
と思うのは、よくあること。
リソースが限られていれば、
無駄を省きたいし、失敗したくないと思うのは仕方ない。
だが、ふと思った。
「価値があるってどういうことか?」
価値はどうやって生まれるか?
結論として、
価値は「認められること」によって生まれる。
認められることにより、価値が与えられる。
と思った。
例えば、価値あるスキルとして英語を勉強するとする。
英語の読み書き・会話はビジネスでは使う場面も多いし、汎用的。
さて、この「英語」は本当に価値があるスキルか?
英語を使える人が少ない環境であれば価値があるし、
全員が英語を使える環境であれば価値はない。
つまり、その環境に依存する。
その環境が「英語」に価値を見出すか否か。
それによって、価値の有無は決定される。
同様に、MacBookは価値ある商品か?
薄くて軽くて、スペックもデザインも良し。
ブランド力もある。
これも、価値の有無は買い手に依存する。
買い手が、Mac大好きなら価値は高いし、
PC初心者のおじいさんだったら大した価値はない。
価値を高める・価値を伝える
よく商品を作る時、または売るときに、
「商品価値を高める」とか
「商品価値を伝える」という。
これもちょっと変だなと思う。
なんか、作り手や売り手が一方的に価値を押し付けている感じ。
価値は受け手に認めてもらえて初めて価値となり得る。
だから、
価値を感じてもらうとか、価値を認めてもらう
という表現のほうがわかりやすい。
相手を知ることが大切なのは、このためだ。
相手を知らなければ、何が価値なのか推測できない。
そして、あくまでも推測にとどまる。
価値を見出すのは、自分ではなく相手だ。
絶対的な価値はない
価値は受け手が見出すものであれば、
絶対的な価値はない。
つまり、誰でも価値を感じるようなものはない。
絶対的な価値がありそうな金塊でも、
小さな子どもにとって価値はない。
でも、投資家にとっては価値がある。
肩書は社内では価値があるが、
社外では価値がない。
学歴だって、社歴だって、資格だって、
なんだってそうだ。
価値ってのは、いつでも
「誰かにとって」の価値。
その誰かがいなければ、
価値そのものが存在しない。
誰かがいれば、
その誰かが認めない限り価値はない。
逆に、みんなが認めなくても、
その誰かが認めれば、そこに価値は生まれる。
自分の価値基準で判断する
自分で買い物をする時でさえ、
自分の基準で価値を判断するのは難しい。
比較やレビューを参照するのが日常的になり、
自分の基準だけで価値判断することはあまりない。
amazonのレビューを見てモノを買ったり、
食べログを見て店を選んだり、
他人の価値基準を自分の価値基準とすり替える。
他人が価値を見出したものは、
自分にも価値があるだろう。
と、勝手に推測する。
でも、本当は価値を与えるのは自分自身だ。
その商品に価値があるか否かは自分で決められる。
(自分で決めないのは傷つきたくないからか)
誰もが認める価値はない。
だから、
大多数の人が価値があると言っても、
自分にとっては価値がないこともありうる。
大多数とずれていても問題ない。
その感覚のズレが個性だし、
それを価値観という。
価値観は人それぞれでいいのだ。
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