本当の自由とはなんだろう?


例えば、

お金が無限にあったり、

なんでもできたり、どこへでも行けたら、

それは自由なのか?


自由になんでもできる、それは自由なのか?


ということを考えていたので、

まとめようと思う。


外的自由と内的自由

自由という言葉。

自分的に分類してみた。


1.外的自由

例えば、

金銭的に自由になるとか、

自由に仕事していいよとか、

服装自由!とか、


一般的にイメージされる自由。


すなわち、制限がないこと。


上の例だと、

お金の制限がない。

仕事の選択の制限がない。

服装の制限がない。


自分の外側から、

自分に対して制限がかけられていない状態


これを、外的自由という。


2.内的自由

これは一般的に馴染みがないと思う。


逆説的に説明すると、

不自由ではない。ということ。


例えば、

PCを自由に使えるとか、

自由に英語を話せるとか、


不自由を感じていない心理的状態のこと。

つまり、ストレスがないこと。


ストレスとは、

苦しい、嫌い、悲しい、辛い、などなど

ネガティブな感情を感じていること。


これがない状態。


言い換えると、

心地よい状態のこと。


これを、内的自由という。


2つの自由の関係性

多くの場合、自由を求めるというと、

外的自由を求めているように思う。


あらゆる制限を取っ払って、

自分を自由にしていく。


しかし、外的自由を極限まで追求していくとどうなるか?

逆に、不自由に感じないだろうか?


例えば、

金銭的な自由を追求して、

無限にお金を使えるとする。

そうすると、選択肢が無限に広がっていく。

そんな状態で、買い物したら迷わないで買えるだろうか?


例えば、

時間的な自由を追求して、

時間を好きなように使えるとする。

そうすると、なんでも好きな時間に好きなことができる。

そんな状態で、暇を持て余せずにいられるだろうか?



外的自由を求めてあらゆる制限をなくしたいと思うが、

その結果として、内的自由を得られるとは限らない。


外的自由を達成すると内的自由も達成されるという因果関係は成り立たない。


片方を満たせば、もう片方が満たされるということではない。

そして、必ずしも両方満たす必要もない。


どっちの自由を優先すべきか?

これは完全に人による。


仮に、生きる目的が「自分の幸せ」のためだとしたら、

内的自由を優先するほうが良い。


一方、生きる目的が「世間的な評価」のためだとしたら、

外的自由を優先するほうが良い。



ここでは、前者のパターンを考える。

なぜ、「自分の幸せ」を求める場合は内的自由を優先するのか?


それは、自分の幸せは自分の心の感じ方が全てだからだ。

幸せかどうかは、自分の心が決める。

だから、外的自由が達成されて、あらゆる制限がなくなったとしても

そこから幸せを感じられなければ意味がない。


それよりも、制限があったとしても、不自由を感じていないことのほうが大事。

心地よい状態でいられることのほうが大事なのだ。


本当の自由を手に入れるために

ここでも、先の項の延長として説明する。


自分の幸せのために生きているのだとしたら、

まずは内的自由とはなんだろうかと考えること。

そして、その内的自由に合わせて、外的自由を獲得していくこと。

この順番が大切だと考える。


1.内的自由を整える

まずは、自分が心地よく感じる状態やストレスを感じない状態は、

いったいどんな状態なのか?を考える。


例えば、仕事。

仕事内容はどんなものだったらいいのか?

仕事環境はどんなものだったらいいのか?


逆説的に、ストレスを感じる状況から考えてみても良い。


いずれにせよ、大事なことがある。

それは、、

世間の評価や他人の目を完全無視して考えること


言い換えると、

今の自分の価値基準で世界を見て、判断すること


自分の価値基準にフィルターをかけずに、考えていくこと。

そうやって、自分の心地よいポイントを探っていくこと。


これが、内的自由を整える作業だ。


ここでは、あくまでも自分が基準になる。

そのため、心地よいポイントが世の中的な価値観とズレていても良い。

そして、世の中的な価値観に合わせなくて良い。


2.外的自由を整える

ここでは、先に考えた自分の心地よいポイントに合わせて、

外的自由を作っていく。


例えば、仕事だったら転職することになるかもしれない。

もしくは、引越をするかもしれない。


そうやって、心地よいポイントに近づけるために、

現実世界で行動をおこしていく。

これが、外的自由を得ていく作業だ。


そうやって、行動していった結果は、

いわゆる自由とは違う結果になっているかもしれない。

制限が外れて、なんでもできる自由とは違っているかもしれない。


でも、それが最も不自由を感じない自由。

内的自由が達成された、外的自由のかたち。


現実になる外的自由は、人によって違う。


人によっては、ルールが厳しい方が自由でいられるかもしれない。

それはそれで良い。


自由は自分で決める

自由は与えられるものではない。


自由にしていいよ!って言われても、

たぶん不自由に感じてしまう。


もしかすると、休みを与えられても、

やりたいことがわからなくて、ストレスになる人もいるだろう。


だから、心地よいのはどんな状態か?と、

自分に問いかけること。

それも、世間の評価や他人の目を無視してね。


そうやって、自分に合った自由ってのはなんなのか?を知って、

それに合わせて自分の世界を再構築していく。


それが、本当の自由を手に入れる方法だと思う。



ただし、生きる目的が「自分の幸せ」の場合に限る。












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