昔は、べっきべきでした:べき論やめて


成功したければ、早起きすべき。

成長したければ、努力すべき。

モテたければ、おしゃれすべき。


などなど、べきべき言ってました。

あたかも正論・正解を述べてるつもりで。偉そうに。


だけどね、今では、

べき論ほどつまらないものはないと思っている。


閉じ込める

知識豊富で、プライドが高くて、理想をもっている人ほど、

べき論を言うような気がする。

自分もそうだったかも。


だが、「~すべき」って言葉は、

相手を閉じ込める。

アイデアを閉じ込める。


周りを壁で囲んで、

出られなくしちゃう感じ。


例えば、


「仕事は、できるだけ効率化するべき」


って、

それが真実の如く、

無理やり「意見」を押し付けられる。

それに従わないのは、悪と言わんばかりに。


外側へ

べき論を言われちゃうと、

閉じ込められちゃうから、

その外へ飛躍しにくい。


「仕事は、できるだけ効率化するべき」って、

べき論を言われたら、

そもそも、効率化じゃなくて、

仕事そのものを無くす方向にはシフトしにくい。


そうやって、

外側へ飛躍することが難しい。


可能性が少なくなる。



それに、

「~すべき」って言われた人は、

その通りにせざるを得ないよね。

そうやって、行動も制限される。



ということで、

べき論を言う人とは、

つまらないので付き合いません。


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